■研究費獲得のすすめ
研究費を獲得すると「研究観」が変わる
この欄では,「研究に興味がある (けれど,研究で食べていくとまでは決め切っていない)」という人に向けて,「ぜひ研究費を獲得しましょう」という,やや説教くさいメッセージを発信します。具体的には,院生やポスドクは学振特別研究員になりましょう,それ以上は科研費を獲得しましょう,ということです。ここではマインドの話を中心に書き記します。研究費獲得のテクニックやノウハウについては,詳しい解説を載せた書籍等が山ほどあるので,そちらを当たってください。
樫原自身は,これまで学振特別研究員DC2とPDに採用されました。実際にそういう立場になってみると,ものの見方がどんどん変わってきます。自分の研究のための資金と時間が豊富にできるので,一国一城の主になる感じです。自分でスケジュール管理をしながら,事務手続きを着実にこなしていかないと,年間の研究費をとても使いきれません。主体的に動いていく中で,「お金をかけるからこそできる,価値のある研究ってなんだろう」と考えるくせがつきます。その積み重ねが,本当に画期的な研究へとつながっていきます。
個人的な感覚ですが,研究費を取った経験のない人が語る「研究者」像は,「研究者のリアル」から大きくかけ離れているように思います。「天才・奇人・変人」という言葉がぴったりのぶっ飛んだ人が,浮世の庶民からは想像もつかないような毎日を過ごしていて,近寄りがたいけどなんだかカッコいい…という感じ。
こんなのはまったくの幻想です。現実の研究者はもっと地味に,毎日コツコツと仕事しています。押し寄せる様々な業務との折り合いをつけて,研究実施に必要な折衝をして,大量の事務書類を書いて…ということなので,普通の会社員とそんなに変わらないと思います。他人が決めた仕事ではなく自分のやりたい仕事をできる,という魅力はありますが,それを下支えしているのは大量の地味な仕事です。
こういう「研究者のリアル」は,自分でお金を管理する経営者にならないと,なかなか見えてこないと思います。「ボスの元で研究させてもらう」という身分だと,「ああしろこうしろ」という指示に従っていたらお金がもらえた,ということに陥りがちです。額の多少は問わないので,とにかく何かしら研究でお金を引っ張ってくることだと思います。その上で向き不向きを判断するのでも遅くはないです。「天才肌じゃないし,研究やっていけるかな」という人の方が,案外「リアルな研究者」をうまくやれるのでは,とも思っています。
研究費を申請するときは,「記念」ではなく全力で
研究費を獲得したいと考えている人から「申請書の下書きを読んでください」とお願いされることが多くなりました (ありがたいことです)。そうしたお願いをくれる人の中には,「とりあえず出すことに意義があるかな。受かったら儲けもんですね」ということを口にする人が一定数います。そういう方には,「潔く断念して他のことに時間を使うか,なりふり構わず全力を出し切るか,どちらかにすることをおすすめします」と返すことにしています。
学振特別研究員の申請について相談を受けることが多いので,そこを例にとって説明します。学振特別研究員に採用されると,「どうぞ研究に専念してください」という形で身分保障がなされ,決まった年数給料を受け取ることができ,年間の研究費も別に支給されます。PDを例に取ると,身分保障が3年間,月給が36万円程度,年間の研究費が100万円程度 (申請内容次第で変動) なので,ざっと1600万円程度の国費が投入されるわけです。
そうした莫大な金額が,ほとんど書類の審査だけで決まるというのは,これは本当にものすごいことです。学振に申請するというのは,「10ページにも満たない書類を送りつけるだけで,莫大な額の国費をむしり取ろう」という,極めてエキセントリックな営みです。そうした制度にあえて挑む人の多くは相当の覚悟を決めており,惜しみない努力を申請書に注ぎ込んでいます。そうした覚悟や努力ができた人でも,競争相手次第では不採択となってしまいます。
「出すことに意義がある」という姿勢では,そもそも勝負の土俵にさえ上がれません。勝負を逃げた人に残るのは,「あー,今年もだめだったね」という無意味なつぶやきと,自らを慰める薄ら笑いだけです。本気で戦いを挑んだ上での負けでないと,悔しい思いさえできませんし,その後に活きる教訓も得られません。
いろいろと書いていますが,「半端者は研究なんてやめてしまえ」と言いたいわけではなく,「本気で戦いを挑む」という人が少しでも増えればいいなと日々願っています。私もDCには2回落ちていますが,思いっきり敗北するのも案外気持ちいいものだと思います。